蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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内省・俯瞰・潜考

長い旅の途中に、大きな味方でいてくれる存在

長い付き合いというがどのくらいの年月を指すのかはわからない。しかし長いことほどよき距離で付き合ってもらっている、と感じる間柄の友人はいる。べったり一緒にいるわけではないけれど、ふとした折に話したくなったり、頼りたくなったり、そういう類の人…

何かを欲するとき、それは状態を望んでいるのだ

最近自分の欲しいものが何かについて、よく考える。わかってきたのは、「モノ」ではなく「状態」が欲しいんだなということ。「サービス」とかそういう話でもなくて、いろいろをすっとばして、自分にとって望ましい「状態」が欲しいのだ。 私が欲しいのは、買…

ささいなことで出会う新しい自分

自分の好みは自分がいちばんわかっているつもりでも、ささいなことで知らなかった自分に出会って新鮮な思いをすることがある。そういう瞬間の新鮮味は忘れないようにしておきたいなと思っている。 以下に書き留めることは、そんな新鮮さを感じたときのことだ…

共感、同感、理解、お互いの色

人は人それぞれに感情曲線が違う。同じ体験をしても人によってテンションの上がるポイントは違うし、印象に残ることが同じではない。 他人に共感などと言うが、共感ってそんな生やさしいものじゃない。会話の流れで共感するという表現を使うことはあるが、そ…

私らしく生きるということ

私らしく生きるということは、基本的人権として死守したい部分である。 私にとっての「私らしく生きる」の定義は、個性的であろうとしたり、人と違う自分を追い求めることとは違っている。「私らしく生きる」の中には、自分が好もしいと思う文化を自分の好き…

場を支配する空気感

空気感というものがある。あれは不思議だ。 以前、ある飲食店で食事をしていたときのこと。お店でミュージックビデオのチャンネルが流れていた。 自分の青春時代に流行った曲は、イントロが流れてきただけですぐにわかる。ハッとするくらい懐かしい思いがし…

語学学習は不要なのか

語学はもう要らないと言う人がいる。私は実はそうではないのではないかと思っている。特にほんのちょっと先の未来を生きる人々にとっては。 日本人はきっとこれから少数になっていく。そして日本語話者が減る。一方、機械翻訳は高性能になる。スマホや近未来…

あやふやになる恍惚

知らない土地で、ひとり過ごすのが好きだ。知らない土地で、ひとり歩くのが好きだ。ひとりであることを実感するのが、とてもとても好きだ。 知らない土地で過ごすことが好きなのはきっと、人としてあやふやになる瞬間と、それが続く時間を味わうのが好きだか…

先回りと最適化の予想

嫌いなもののひとつに「知ってたらできたし当然やっていたであろうこと」を後出しで追加指示される、ということが挙げられる。 後出しが好きという人はいないと思うが、人それぞれ理由は違っているはず。私の場合は自分の頭で考えられたはずの事案に対する機…

尊敬と目指してない感

自分が「尊敬する人」と「目指す人」は違う。 つまり尊敬しているからといってその人を目指しているわけではないし、その人のような在り方を目指しているけれども実は尊敬はしていない、みたいなことが普通である。もちろん、尊敬しているし目指している人も…

理論のつまみ食いと交配

いろいろな理論を掛け算したり応用したりすることが好きなのだけれど、そういう姿勢をよく思われないこともたまにある。研究者でも専門家でもない素人の立場で分野横断的な工夫をしてみたいと言うと、つまみ食いとして害悪のように受け取られることがある。 …

自分のイデオロギーが誰かを殺す

善良なだけで「よい人」と呼ばれる時代ではなくなった。善良かつ社会的な感度が高いことが求められる。また、いままで「よいこと」とされていたことも、今では形を変えてしまった。かつて善良であったはずの人たちは、自分たちが善良であるという本人の意識…

風情と浅ましさと自分の中の矜持

ある冬の話。高めの塀に囲まれた他人のおうちの庭に咲いている花を見た。 てっぺんがちょろっとだけ見えて、きれいだなと思った。風情がある、という表現がぴったりの様子で。よく手入れされていて、愛情がかけられている枝ぶりがわかる。このお宅の方が自分…

高齢者福祉への興味

今は子どもの福祉よりも高齢者福祉に強い興味がある。老い先が短い高齢者よりも子どもの福祉を手厚く、という向きもある。理屈から言っても感情から言っても、なんの反論もない。逆説的ではあるものの、だからこそ高齢者福祉が気になるのだ。 親になれば、子…

歪めずに手渡すこと、受け取ること

対個人として誰かに接する時に必要なものは、抽象論ではなく顔と顔、肌と肌を突き合わせた五感の開放なのかもなと思う。一方、文化や価値観を含むバックグラウンドを語る際に必要なものは、本質やそのエッセンスの抽出と共有なんじゃないかと。 事実だけを見…

表現の脅迫

少し前まで、「表現に脅迫される」という表現に脅迫されていた。 いや、単に自分でそういう言い方をしているだけなんだけど、それにしても脅迫という言葉が相応しいくらいに考えさせられていた。言語化という表現方法を取る時にも、常に表現からの脅迫を受け…

スキルと個性、その評価

その人にとって自信のあるスキルでも、母集団が変わると評価の対象にならない場合がある。ざっくりとわけると、以下の2点になるのかな。 母集団の中に、自分よりさらにスキルが高い人しかいない場合 母集団の中で、そのスキルが求められていない場合 その現…

自分の毎日をハックする

意識して眺めてみると、自分の毎日をハックしてる人たちがたくさんいることに気付く。そういう人たちは表に向かって声を上げることより、自分たちの毎日をひたすら(前向きに)ハックすることにエネルギーを注いでいる(ように見える)。 私の価値観では、他…

「作ってもらう」側の人間

どんな仕事をしていても、作ってもらう側の人でなくなることはありえない。作る人であるという自負が強くなると、それを忘れてしまう。作る仕事をしているなら、そのことに自覚的であった方がいいのではないかと思う。 チームで自分の手の届かない領域のもの…

行動するサイレント・シチズン

普段あまりSNS上で自分の政治信条について詳しく発言することはない。しかしわりと明確かつ強い信条を持っているタイプだという自覚はある。 最近は特に、市民であるか国民であるかの自覚の違いによって、自分の中の政治信条が大きく二分されていると感じる…

同時代性と文脈

ある時代の文脈を救い取ろうと必死だった世代と、もうそれがそこにあって当たり前の世代とで断絶がある。だから人は同時代性に対する特別な感情があるのだし、同時代的な体験を共有したという事実を大事にする。 同時代的に文脈を生み出し補完し翻弄されてき…

人の不安のかたち

自分は相対的に「自分ってものがない人間」だと思って生きてきたのだけれど、他人から見るとそうでもないらしい。とはいえ、何との対比で Relative なのかという話でしかないし、その感じは単なるコンプレックスでしかないのだろうけれど。 なんでこんなこと…

専門家の眼鏡

何らかの分野の専門家がそばにいるというのは、とても貴重なことだ。彼らはみんな、深いところで呼吸をしている。私たちと同じ地面に足を乗せて立っていても、その目線ははるか地平に突き抜けている。 自分があずかり知らない世界のプロが隣でまばたきをする…

演劇的であるということ

演劇的であるということがどういうことか、自分なりに考えている。先日、演劇の世界にいる人の目線をちょっとだけ垣間見る機会があり、それ以後ぼちぼちとそんなことを考えているのである。 私自身は演劇に対してなんの素養もなく、好きではあるけれども熱心…

大人にもアップデートが必要である

石戸奈々子さんの「子どもの想像力スイッチ!」という本を繰り返し読んでいるというか眺めている。 自分がこの本でいちばんおもしろいと感じる部分は、子どもたちは子どもたちのための新しい教育や新しい時代にあっという間に適応して、彼らの未来のために彼…

パワーの源は人それぞれ

人と会うことで自分のパワーを増幅させていく人。人と会うことで自分のパワーを消耗する人。 というような書き方をすると、後者がネガティブに捉えられる気もするけど、後ろ向きな意味でそう言いたいわけではない。どちらも個性であり特性であり、一長一短あ…

暇と可処分時間

私にとっての「可処分時間」は誰かのための「暇」じゃない。同時に、誰かの「可処分時間」は私のための「暇」じゃない。この感覚が理解できない相手と時間を共有するのはつらい。 限りある人生の中で、巡り合ったりすれ違ったり再会したり。それぞれの時間の…

空飛ぶ紫の馬

子供の頃、紫色の馬の絵を描いたことがある。通っていた幼稚園で、絵皿を作る時間だった。自分と自分の好きなものを自由に描きなさいと言われ、私は空想の世界でいたらいいのに、と思う空飛ぶ紫の馬を描いた。 結果、先生に「紫の馬なんていないのよ」と長い…

教養のこと

いろんな場面で、教養ってなんだろうねって話をすることがある。 まだうまくまとまっていないのだけど、何度か話をしていく中で「それは色合いの違う知識や体験が地層のように何層も重なっていく先にあるものなのかもしれない」…というのがしっくりくるよう…

ノンプログラマーがコードを書く必要があるのか問題

ノンプログラマーな職域の人(デザイナーやらIAやらがそれに当たるのかな)が実際コードを書く必要があるのか? という問題について、思うこと。書く必要がある人とそうでない人といると思うし、それを決めるのは本人と環境だと思う。もはや一般論には落とせ…

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