蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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大人にもアップデートが必要である

石戸奈々子さんの「子どもの想像力スイッチ!」という本を繰り返し読んでいるというか眺めている。

子どもの想像力スイッチ!

自分がこの本でいちばんおもしろいと感じる部分は、子どもたちは子どもたちのための新しい教育や新しい時代にあっという間に適応して、彼らの未来のために彼らの毎日を生きている、ということを教えてくれる点だ。もちろん、その道筋を見せていくのは大人なのかもしれないけれど、彼らは確実に私たち世代の知らなかった道を歩いている。

私自身の問題意識

他人から見れば関係ないように見えるかもしれないけれど、この本が明らかにしてくれる子どもたちの姿は、私自身の問題意識にダイレクトにつながっている、みたいだ。

以下は、2013年6月の私のつぶやき。


今現在、自分がいろいろと活動していることって、やっぱり突き詰めるとここに至るのかもしれないなと、石戸さんの本を読んで少しだけクリアになったのだ。

知の伝達が一方通行である時、老害が生まれる

コミュニケーションとよく言われる世の中だけど、コミュニケーションという文脈において私がこだわるのは、知の伝達という点なのかもしれないなぁ、なんて最近感じていた。コミュニケーションにおける知の伝達は、人間という生き物が種の存続のために取る行為だという前提での考え。それが言語によるものでも非言語によるものでも。

そうしたコミュニケーションが断絶すること、それが前述の問題意識そのものとして、自分の中で位置付けられているのだろう。コミュニケーションの断絶によって知の伝達が滞ることを「時代は繰り返す」と呼ぶのなら、できれば断ち切りたいよねと思ったりする。なぜならば今はかつてから見た未来だから。そして未来から見た過去だから。

イマドキは、子どもが小さい時からデジタルデバイスを使ってると悪い影響が出るよ、っていう意見を聞くことがある。大昔は、本なんて読んでいるとダメになるから、本なんて読まずにおじいさんおばあさんと会話しろって言われてたらしい。きっとこれから先の未来でデバイスが変わっても、同じ議論が繰り返されていくのだろうけど、そこには更新すべき常識がたくさん含まれているんだろうなぁって思う。

子ども時代に彼らの常識をネイティブレベルで身に付けた若者が、社会に新しい風を吹き込んでくる時、きっと軋轢は起きる。その時に大人は、若者に自分の知を伝達しながら同時に若者の持つ知を取り込んで、自身をアップデートする必要があるのではなかろうか。一方通行ではなくて、相互アップデートなのだ。それができない時、大人は尊敬の対象ではなく、老害と呼ばれる存在にされてしまうのだ、きっと。

大人のアップデートに必要な感覚をインストールする

だから、いつでも自分をアップデートできるバランス感覚みたいなものを(なんとなくでも)持っている方が、みんなが幸せなんじゃなかろうか。何より、自分が持っていたい。

とはいえ「大人のアップデート」は、研修とか勉強会ではなかなか手の届かないものなんだろうと感じている。今の子どもたちの教育に大事とされ取り入れられている要素を、我々大人は身に付けてこなかった可能性がとてもとても高いからだ。そこは各人の置かれていた環境にもよるのだけど。

実感として、子どもの可能性が伸びていく様子を見るのは、うんと楽しい。私も子どものワークショップとかやると、ああこういうものだけ見つめて生きていきたい...って思うんだ、正直なところ。不毛な仕事とかしないで、子どもの楽しい顔だけ見てたらいいじゃん...みたいな、そんな気持ちになることある。

だけど、大人側の受け皿がなければ、子どもたちの未来にもやがて今までと同様の軋轢が待ち構えていることになっちゃう。もったいないよね。そういうの、もったいない。

自分が今続けようとしている活動は、今からでも誰かがアップデートの感覚をインストールする手助けになれるはず、と、思って設計している。今まで誰も大真面目に見つめてこなかった部分に少しでもリーチできるような活動を、ほそぼそとでも続ける人間がいてもいいのではないか。うん。いいのではないか。

私にできることは大きくないかもだけど、たくさんはないかもだけど、ほんの少しでも何かのきっかけになれたらいいなと期待して、続けていこう。人間の大いなる知の伝達のためにね!

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