蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

ノンプログラマーがコードを書く必要があるのか問題

ノンプログラマーな職域の人(デザイナーやらIAやらがそれに当たるのかな)が実際コードを書く必要があるのか? という問題について、思うこと。書く必要がある人とそうでない人といると思うし、それを決めるのは本人と環境だと思う。もはや一般論には落とせないところに来ていると思う。

分業が進む組織ではそもそもT型自体不要でコアスキルの深堀りを求められるのかもしれないし、スタートアップ界隈ではざざっとコードが書けてスピード感ある開発ができるタイプを求められるのかもしれない。いろんな組織やチームがある中で、自分が何をしたいか/するべきかだけなんじゃないのかな、重要なのは。

だから「ノンプログラマーがコードを書く必要があるのか?」じゃなくて「おまえは自分がコードを書く必要があると考えている/感じているのか?」と自分の胸に問えばいいんだと思う。問う先はいったん、自分の胸だけでいい。いったん。

あとは、問うた答えを誰と共有するか。これから誰と何をしていきたいのか。「俺は絶対にコード書かなくていい」って思ってるデザイナーが「コード書くデザイナーと仕事したい」って思うプログラマーと協業するのは難しいだろうし、「コードなんて書かなくていいからディープなビジュアル求む!」という人に「俺コード書けます!コード書けます!」って言ったって届かない。

デザイナーに限らず「◯◯◯はこうあるべき」の枠の中に個を押し込むのではなくて、「ひとりの◯◯◯としてこう考えている」とか「こう考えている◯◯◯と一緒に働きたい」というところに留めておく。それさえ持っていれば、それぞれが出会うべき人や向かうべきところに収まっていく。そんな希望的観測。

たぶん実際はそんなうまいこといかなくて、人は苦しみながら模索をする。知ってる。だって自分でもわからないから悩むのだし、たとえ自分のことがわかっていても周りとうまくすり合わせられるかどうかは別の話。

つらみを感じない人の方が幸運というか、凡人はきっとある程度苦しむのが与えられた道な気がする。死にたくならない程度の悩み・むしろ刺激になってくれる程度の苦しみ感になるよう、いい感じに調節したり息抜きしたりしながら、日々できることをやって明日へ向かうのがよい。

それでよい。

すくなくとも私は、デザイナーがコードを書く必要があるのか問題について、それ以上の答えを持たない。

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