蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

何かを欲するとき、それは状態を望んでいるのだ

最近自分の欲しいものが何かについて、よく考える。わかってきたのは、「モノ」ではなく「状態」が欲しいんだなということ。「サービス」とかそういう話でもなくて、いろいろをすっとばして、自分にとって望ましい「状態」が欲しいのだ。

私が欲しいのは、買いたいときにすぐ押せるボタンではない。すぐに届いてうれしい体験でもない。届いたものを受け取って、開封して、詰め替えて、出たゴミを処分して、住まいを何事もなかったかのような状態に戻してくれる何か、を欲している。

あるいは、家の中で何かが壊れたときに、壊れたことすら気づかないくらいすぐに撤去・もしくは修理され、自分の手を動かさなくても望ましい状態を自動的にキープし続けてくれる何か、なのかもしれない。

自分の想像の範囲内で明示的に求めているものは、お手伝いさんを雇えばクリアできる条件=マンパワーでなんとかなる話の範疇だったりする。だから、まったく不可能なことを言ってるわけではない。ハウスキープ全般の課題を涼しい顔で解決してくれる「何か」。もしそれが将来的にも技術・デザイン・アイディアで解決できないとしたら、こんなに悲しいことはない。

マンパワーでならいい感じに整えていくことができる「状態」の部分を、技術・デザイン・アイディアだけでどう超えられるか。「使う人にとってうれしいモノ」「モノを使うことによってうれしくなるコト」ではなく、状態をキープしてくれる何か。それをなんと呼べばいいのかもまだわからないけれど、その「何か」が欲しいなぁ。

よくよく考えれば、生活を変えるサービスなんかでなくていい。自分にとって最適な生活の状態を何も変えない方向性のサービスであるほうがうれしい。変えることですばらしいものになるなんてアイディアは、目の前に差し出されるまで考えすらしないのだ。

返す返すも、消費者としての私は本当に意識が低い。でもその意識の低さを常に頭の片隅に置いておくのは大事なことだと思う。

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