蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

暇と可処分時間

私にとっての「可処分時間」は誰かのための「暇」じゃない。同時に、誰かの「可処分時間」は私のための「暇」じゃない。この感覚が理解できない相手と時間を共有するのはつらい。

限りある人生の中で、巡り合ったりすれ違ったり再会したり。それぞれの時間の交差を楽しむのだ。会いたい人に会う。会える時に会う。そういうところくらいは、とことん自分本位でいいと思う。

3分後にはこの世は存在しないかもしれないんだからね。

子供の頃から「今って言ったら今なの!」という性格だったものが、基本的には変わっていないみたい。ちょっと大人になったので我慢という言葉を覚えたが、人生の可処分時間が確実に目減りしているから、ある意味では子供の頃より強く持っている。

そんなこんなで「暇だ」と思う瞬間が本当に減った。これから先、よほど理不尽な状況に置かれない限り、暇だと思うことはほとんどなく過ぎてゆくのかもしれないな。

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