蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

歪めずに手渡すこと、受け取ること

対個人として誰かに接する時に必要なものは、抽象論ではなく顔と顔、肌と肌を突き合わせた五感の開放なのかもなと思う。一方、文化や価値観を含むバックグラウンドを語る際に必要なものは、本質やそのエッセンスの抽出と共有なんじゃないかと。

事実だけを見るのではなく、内側にある概念をうまいこと抜き出して、相手に差し出す。そして受け取る。それはありもしないことをアピールするスキルではない。あるものを歪めず手渡す行為だ。同じように、差し出されたものを歪めず受け取ることも必要で。

本質を照らす

私が仕事や活動の中でもやもやすることの多くは、本質を知ろうとせずに物事が進んでいる時だったり、エッセンスが目の前にあるのに誰も見ようとしていない時だったりする。うまくつなげる人になりたいなぁと思いつつ、力不足で上手く動けなかったりする。どうしたらいいのかなぁ、と考える。まだ答えは出ないのだけど。

自分(あるいは自分たち)の持つエッセンスをお互いに知り、認め、許容する。ありとあらゆることが多元化している社会では、きっとそういうことが求められている。自分が受け取ったと思い込んでいる相手の情報に、エッセンスが含まれているのかどうかを知る力は、自分の中に持たないといけない。

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