蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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高齢者福祉への興味

今は子どもの福祉よりも高齢者福祉に強い興味がある。老い先が短い高齢者よりも子どもの福祉を手厚く、という向きもある。理屈から言っても感情から言っても、なんの反論もない。逆説的ではあるものの、だからこそ高齢者福祉が気になるのだ。

親になれば、子どものことを第一に考えるのが自然だろう。ともすれば、自分のことより子どものこと、となる。けれど、そう思う親たちを含め、いずれみんな歳を取る。子どものある者もない者も、既婚者も単身者も、みんな同じ時の流れで歳を取る。

老いた自分の未来の姿を考えると、なんとも言えない不安感がある。直視したくないくらいに、ど直球で自分事だ。いずれ技術の進歩が何らかの形で解決してくれる、と思わなくもないが、その進歩がディストピアに向かってないとは言い切れない。

私自身、若い頃は老いるということに実感がなかったし、あまり身近に置いておきたくなくて、はねのけたいトピックだった。なんなら時が来たら早く死ねば済むとさえ思っていたのだから。

人が老いてもタイミングよく枯れるとは限らない

今はその頃に比べると分別もできてきて、社会的にコミットできるスキルやキャリアもついてきた。何より確実に老いに近付いたのだ。本当の意味で老いる前に、まだ若さを残す年代だからできることを通じて、自分の未来にコミットしておきたいと思うようになった。そんな流れもあったり、様々なご縁もあったりして、高齢者福祉に興味を持つようになったのだった。

正確に言えば、福祉じゃなくたっていいのだ。老いていく過程の我々の社会に興味がある、と言い換えた方がいいかもしれない。誰かがどうにかしてくれる、のがいつなのか誰も知らない以上、「誰か」の頭数はひとりでも多い方がいいよね。

三十代って、そういうこと具体的に考えはじめるのに、すごくちょうどいい年代じゃないかなぁと思うの。若すぎるとできないことも、歳取りすぎるとできないことも、程よいバランスでできる気がして。若い頃はなりたくなかったものだけどね、三十代というのは。なってみると別に大したことなかったので、きっと四十代も五十代もそんな感じなのかもしれない。

そんなふうに、人生のステージって変わってゆくんだろな。うまいこと老いていきたいし、老いてゆく大事な人たちの尊厳もうまいこといい感じにしていきたい。ひっくり返せば、それも子どもたちのためになるのだし、たとえ明日死ぬかもしれなくても、未来に対して目をつむっていてはいけないなぁと思う。

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