蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

自分の毎日をハックする

意識して眺めてみると、自分の毎日をハックしてる人たちがたくさんいることに気付く。そういう人たちは表に向かって声を上げることより、自分たちの毎日をひたすら(前向きに)ハックすることにエネルギーを注いでいる(ように見える)。

私の価値観では、他人を変えようと躍起になるより、自分の生活をハックする方が健全に映る。もちろん、それを後ろ向きな行動と見る人もいるだろうし、社会の前進に目をつぶる行為だと捉える人もいるだろうけれども、それを社会や政治への不参加と呼ぶことには疑問がある。

座れる椅子は限られる

社会では、物事が多数決で決まる場合が多い。多数決という方法は完璧ではない。多数決というシステムでできることには限界がある。直接民主制だろうが間接民主制だろうが、そこは変わらない。例えば 49対51 なら半分の人が反対だということは、子どもでもわかる。

全体で見たら、多数決では負けることばかりだ。全部が都合よく叶えられることなんてない。誰が勝とうが負けようが、私の毎日はゴーイングオンだし、1日だって止まることはない。なので大体のことは自分でなんとかするしかない。

だから、ということもないのだけど、多数決の結果に文句を言うのではなく、法律やルールを上手にハックして、自分にとって健全かつ建設的な暮らし方を模索している人を見つけると、なんだかうれしくなる。もちろん犯罪や違法行為を抜きに、という意味でだけど。

どうせ混迷する世の中なら、おもしろく生きようじゃないの、って思いたい。壁にぶつかり続けるのが人生だとしても、ぶつかったままなんて、つまらない。しなやかに乗り越えて、その先に行くのだ。そうした小さなハックから大きなうねりにつながることもあると思うけど、そういうのが目的ではなくて、ただただ自分の毎日を生きるのだ。

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