蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

ささいなことで出会う新しい自分

自分の好みは自分がいちばんわかっているつもりでも、ささいなことで知らなかった自分に出会って新鮮な思いをすることがある。そういう瞬間の新鮮味は忘れないようにしておきたいなと思っている。

以下に書き留めることは、そんな新鮮さを感じたときのことだ。

好きな作家のひとりに角田光代氏がいる。トップクラスに好きな作家のひとりだ。彼女の小説は、手元に置いて読み返す。もう何度読み返したかわからない作品もある。

映画化・ドラマ化されたものも、それぞれのメディアに最適化されたすばらしい作品で、小説と同じくらいおもしろいと感じるものが多い。角田作品は、小説と映像作品の違いを味わうのも本当に好きだ。本を携えながら、舞台となった場所に旅行したりするくらい。以前「記」のほうで書いた小豆島などが、まさにそれ。

ふと、映画原作になることが多い別の作家(仮にMとする)との違いを考えたことがある。すると、私にとっての味わいかたに二点ほど違いがあると気付いた。一点は、Mの映像作品よりも小説のほうがおもしろいと感じていること。もう一点は、M作品を読み返したことがないこと、正確に言うと読み返したくなったことがないこと、である。

読み返したいと感じる要素、映像作品と比較して楽しみたいと感じる要素、そこには自分が好もしいと思える余白があるのから、そうなるのかもしれない。はっきりとした答えが出なくても、でも自分が何に惹かれるのかのヒントになっている。

上記のような、自分の中の新しい発見がたくさんあると、飽きずに自分を続けることができる。それは本当に小さなことで、人から見たらどうでもいいことなのだが。

しかし、生まれてから死ぬまで自分自身を自分自身と言えるのは自分だけなのだ。そういう感覚は大事にしたほうがいいと思っている。死ぬまで新しい自分に出会える人生なんて、最高じゃないか。

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