蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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2015-01-01から1年間の記事一覧

過去からの手紙、ポエム駆動アクセシビリティ

このエントリは『Web Accessibility Advent Calendar 2015』の24日目、ポエム担当の Hitoyam です。 自分自身が書いた 2013年の a11y ポエム、2014年の a11y ポエムを受けて、ポエム駆動でアクセシビリティに関わる活動をしている。前を向いて走ってきたので…

私のファシリテーションへの向き合い方(2015年版)

このエントリは『ファシリテーター Advent Calendar 2015』の22日目です。 2015年にも様々な場所でワークショップをする機会があった。プログラムもたくさん作ったし、ファシリテーションもした。とてもありがたい。その中で、自分なりにファシリテーション…

仕掛学の trigger categories について考えてみた

このエントリは『UX Tokyo Advent Calendar 2015 - Adventar』の16日目です。 最近になって松村先生の仕掛学の論文を読んだりお話を聞いたりする機会があった。論文の中にも出てくる Shikake trigger categories という分類が興味深かったので、いろいろ考え…

風情と浅ましさと自分の中の矜持

ある冬の話。高めの塀に囲まれた他人のおうちの庭に咲いている花を見た。 てっぺんがちょろっとだけ見えて、きれいだなと思った。風情がある、という表現がぴったりの様子で。よく手入れされていて、愛情がかけられている枝ぶりがわかる。このお宅の方が自分…

高齢者福祉への興味

今は子どもの福祉よりも高齢者福祉に強い興味がある。老い先が短い高齢者よりも子どもの福祉を手厚く、という向きもある。理屈から言っても感情から言っても、なんの反論もない。逆説的ではあるものの、だからこそ高齢者福祉が気になるのだ。 親になれば、子…

歪めずに手渡すこと、受け取ること

対個人として誰かに接する時に必要なものは、抽象論ではなく顔と顔、肌と肌を突き合わせた五感の開放なのかもなと思う。一方、文化や価値観を含むバックグラウンドを語る際に必要なものは、本質やそのエッセンスの抽出と共有なんじゃないかと。 事実だけを見…

表現の脅迫

少し前まで、「表現に脅迫される」という表現に脅迫されていた。 いや、単に自分でそういう言い方をしているだけなんだけど、それにしても脅迫という言葉が相応しいくらいに考えさせられていた。言語化という表現方法を取る時にも、常に表現からの脅迫を受け…

鞄の話

ある鞄屋さんのショールームに行った時、なんとなくつまらない思いをして帰ってきた。好きな工房の鞄なので、楽しみに立ち寄ったのだが。 私は人並み以上に鞄にこだわるタチではない気もする。とはいえ人並み程度にはこだわりがあるので、関心がないタイプで…

スキルと個性、その評価

その人にとって自信のあるスキルでも、母集団が変わると評価の対象にならない場合がある。ざっくりとわけると、以下の2点になるのかな。 母集団の中に、自分よりさらにスキルが高い人しかいない場合 母集団の中で、そのスキルが求められていない場合 その現…

自分の毎日をハックする

意識して眺めてみると、自分の毎日をハックしてる人たちがたくさんいることに気付く。そういう人たちは表に向かって声を上げることより、自分たちの毎日をひたすら(前向きに)ハックすることにエネルギーを注いでいる(ように見える)。 私の価値観では、他…

「作ってもらう」側の人間

どんな仕事をしていても、作ってもらう側の人でなくなることはありえない。作る人であるという自負が強くなると、それを忘れてしまう。作る仕事をしているなら、そのことに自覚的であった方がいいのではないかと思う。 チームで自分の手の届かない領域のもの…

sticky50 に参加してみた

#sticky50 という企画に乗っかって、2015年8月1日から50日間、ふせんに何か書いてシェアするということをやっていた。発案者であるヤスヒサさんも「50日間付箋紙に絵を描き続けて気づいたこと」という記事で総括している。 なぜか4アカウントで運用するとい…

行動するサイレント・シチズン

普段あまりSNS上で自分の政治信条について詳しく発言することはない。しかしわりと明確かつ強い信条を持っているタイプだという自覚はある。 最近は特に、市民であるか国民であるかの自覚の違いによって、自分の中の政治信条が大きく二分されていると感じる…

同時代性と文脈

ある時代の文脈を救い取ろうと必死だった世代と、もうそれがそこにあって当たり前の世代とで断絶がある。だから人は同時代性に対する特別な感情があるのだし、同時代的な体験を共有したという事実を大事にする。 同時代的に文脈を生み出し補完し翻弄されてき…

人の不安のかたち

自分は相対的に「自分ってものがない人間」だと思って生きてきたのだけれど、他人から見るとそうでもないらしい。とはいえ、何との対比で Relative なのかという話でしかないし、その感じは単なるコンプレックスでしかないのだろうけれど。 なんでこんなこと…

『遊ぶヴィゴツキー: 生成の心理学へ』で考えたこと

ロイス・ホルツマンの『遊ぶヴィゴツキー: 生成の心理学へ』がとてもおもしろかったので、読書しつつ思ったことなどをメモするエントリ。 本書では「パフォーマンスが人間発達の道具と結果の弁証法的活動である」とする考え方が述べられている。 私たちは自…

専門家の眼鏡

何らかの分野の専門家がそばにいるというのは、とても貴重なことだ。彼らはみんな、深いところで呼吸をしている。私たちと同じ地面に足を乗せて立っていても、その目線ははるか地平に突き抜けている。 自分があずかり知らない世界のプロが隣でまばたきをする…

演劇的であるということ

演劇的であるということがどういうことか、自分なりに考えている。先日、演劇の世界にいる人の目線をちょっとだけ垣間見る機会があり、それ以後ぼちぼちとそんなことを考えているのである。 私自身は演劇に対してなんの素養もなく、好きではあるけれども熱心…

パネルディスカッション、あるいは公開ダイアローグ

前回のエントリ第16回 情報デザインフォーラムのメモを書いたとおり、パネルディスカッションのモデレータを務めさせていただいた。モデレータという立ち位置もはじめてなら、パネルディスカッションという形式に参加するのもはじめて。本当によい経験をさせ…

第16回 情報デザインフォーラムのメモ

2015年4月29日、第16回 情報デザインフォーラムに参加してきた。今回の全体テーマ設定は「『つくる』を『つくる』」。つくるということについて、情報デザインの視点で考え直す機会となった。 情報デザインフォーラムは「コミュニケーションデザイン研究会」…

HDIfes #04「人を巻き込みチームを作る」に参加した

2015年4月12日、HDIfes #04「人を巻き込みチームを作る」に参加。hcdvalueさん側からのご推薦ということで、講演に登壇する機会をいただいた。Web担当者Forum の記事を見ていただいたことから興味を持ってくださった方もいらっしゃったようで、大変ありがた…

わたしのマチオモイ「いいざか帖」できました

ここのところ制作していた薄い本がようやく仕上がった。1年かけて故郷に足を運んで、いろいろなことを思い返して、見つめ直して、やっと形になった本「いいざか帖」。 「いいざか帖」は、わたしのマチオモイ帖という企画展のために作成したミニブック。2011…

グラフィックレコーディングとリアルタイムドキュメンテーション

昨今ではグラフィックレコーディング(GR)やリアルタイムドキュメンテーション(RTD)が注目されている。 文字だけでなく、図やイラストなども使ってビジュアル的にわかりやすく構成し、議論や会議などの流れを視覚化するのがグラフィックレコーディング。…

2014年度 HCD-Net 第7回 サービスデザイン方法論

2015年1月10日、ヤフーさんを会場として開催されたHCD-Net 第7回 サービスデザイン方法論(フォローアップ講習会)に参加してきた。今回は過去の参加者によるライトニングトークで講習を振り返るという試み。その形式が面白いと思ったので、LT発表込みで参加…

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