蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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仕掛学の trigger categories について考えてみた

このエントリは『UX Tokyo Advent Calendar 2015 - Adventar』の16日目です。

最近になって松村先生の仕掛学の論文を読んだりお話を聞いたりする機会があった。論文の中にも出てくる Shikake trigger categories という分類が興味深かったので、いろいろ考えてみた。

仕掛学とは、人の行動を促し、社会的・個人的な問題を解決することを目指す学問とのこと。松村先生は仕掛のメカニズムの解明や仕掛デザインの方法論の構築などをされているそうだ。興味のある方は「Shikakeology: designing triggers for behavior change」などを参照していただけるとよいと思う。

trigger categories

様々な仕掛の事例を分析して、トリガーとなる要素をカテゴリ分類したものが提示されている。

トリガーは大きく「physical trigger」と「phychological trigger」に分かれ、さらにそれぞれ小分類に分かれる。「physical trigger」は「feedback」と「feedforward」を含み、「phychological trigger」は「indivisual context」と「social context」を含む。

from trigger categories

これを見た時に、トリガーをデザインするということはユーザーエクスペリエンスにおけるタッチポイントのデザインと同じことなのではないかと思った。

自分の解釈を加えてみる

「physical trigger」を直接的なUIパーツ、「phychological trigger」をUIによってもたらしたい心理的効果と考えると、「feedback」と「feedforward」を考えることはUIデザインそのものだし、UIデザイナーと呼ばれる人々は「indivisual context」と「social context」の中で起こる認知とUIの関係を考えてデザインや設計を行っている。(ざっくり言うと、だよ)

また、「feedback」に含まれる5要素「auditory」「haptic」「olfactory」「taste」「visual」はインタラクションを指していると捉えることができるし、「feedforward」に含まれる2要素「analogy」「perceived affordance」はシグニファイアのまとまりと捉えることもできる。(ざっくりね)

trigger categories に上記の解釈を加えた図1

つまりトリガーをデザインするということはUXデザインそのものということもできる。いかに適したタッチポイントを設定するか、ユーザー体験の中でクリティカルなタッチポイントを設計するかということと同義なのではないか。もう少し限定すると、一時的UXを提供するためのデザインという感じなのかな。

そしてトリガーをデザインするにあたって、物理的なインターフェイス抜きに成立させることはできないのだろうと思う。物理的なトリガーを介して心理的なトリガーに移行する。インターフェイスを介さず変化が起こるのは、「indivisual context」の中で完結する動きくらいなのではないだろうか。

トリガーによって行動変容を起こして意図した行動を起こさせることが仕掛のデザインであり、仕掛のデザインはUXデザインの一部なのだなと思った。ゲーミフィケーションに近いというか、マーケティング文脈で有効な考え方だなぁという印象。習慣化まで至らせるのにはもっと工夫が必要なのかもしれない。

差分を読み解いていきたい

仕掛のデザインとHCDやUXDの違いってなんだろうと考えてみたが、仕掛学はなんとなくハッキングとか釣りに近い感じがある。課題感が人間の感じる心地よさや課題そのものには向いておらず、変容にまっすぐ向いているからなんだろうな。わりとシンプル。

改めて図で表すと、以下のような感じ。

trigger categories に上記の解釈を加えた図2

最近では、近いようで違う分野のそれぞれの差分にこそ、ずっと探していたおもしろいヒントが隠れているような気がしている。というか確信している。だからこそ、こういった種類の読み替えは楽しい。アウトプットしていない時でも、いろいろ考えたりしている。

そんなこんなで、さんざん私の勝手な解釈ばかりを述べたけれど、trigger categories はデザインやリサーチをするにあたっての参考になるし、論文も普通におもしろいので一度読んでみてほしい。

余談

とりとめもないまま終わるのだが、最後に余談をひとつ。松村先生のお話で「事例から分析した原理がわかっているからといって、原理から事例が作れるわけではない」というのが印象的だった、というお話。

いや本当そうだよね、理屈がわかってるからといって、勉強したからといって、誰でもいいものを作れるわけではないんだよね、そうだよね、と深く共鳴したのであった。研究成果に対して安直にハウツーを求める姿勢をよく見かけて違和感を持つのだけど、そんな万能薬みたいなハウツーがあるわけがない。

身も蓋もないことを乗り越えて、我々はゆくのだ。


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