蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

鞄の話

ある鞄屋さんのショールームに行った時、なんとなくつまらない思いをして帰ってきた。好きな工房の鞄なので、楽しみに立ち寄ったのだが。

私は人並み以上に鞄にこだわるタチではない気もする。とはいえ人並み程度にはこだわりがあるので、関心がないタイプでもない。自分なりの観点で、使いやすさや思い入れられるポイントを見極めたいと考えており、結果やっぱりこだわりは強いのかもしれない。

その時立ち寄ったショールームでは、まだ実物を見たことがない新製品を手に取ってみたかったのだった。しかし、たまたま運悪く現物がなかったので、当初の目的は叶えることができなかった。

せっかくなのでいろいろ聞いて帰ろうと、製品について店員さんに質問をすることにした。いろいろ受け応えをしていただく中、なんだか最後まであまり納得のいく答えが得られなかった。持ち手の具合が自分の身体に合うかどうか、サイトやカタログで見てもわからないその感じを確かめたいのだけど、サイズ感は大きめですよとか、マチはたっぷりしていますよとか、聞いていないことしか返ってこない。

たっぷり入るのはわかってる。たっぷり入るからこそ、持ち手のしつらえは私にとって重要事項なのだ。なのに、持ち手の長さを質問した時に、なんでそんなどうでもいいこと聞くの? みたいな反応をされた感じがあって、少し不快感があった。少なくとも、不快感を覚えてしまうような何かしらの素振りがあったということだ。

大きめ大きめ、ちょうどいいちょうどいい、などとばかり言われて、なんだかウンザリしてくる始末。ちょうどいいかどうかは自分が決めるし、決めるに足る情報が欲しいのだ。荷物を入れたら全体のバランスがちょうどよくなくなることだってある、ということをわかってほしい。

私は言いたいことしか言ってこない店員さんと話を続けることに疲れてしまって、手短に礼を言って立ち去った。

スタートアップの世界でも、カスタマーサービスを以下に充実させるかが肝だ、という話をよく聞く。プロダクトがどんなによくても、どのように売られているかで印象が恐ろしいほど変わる。買う側にいる時はそういうのソリッドに感じ取っているのに、作る側・売る側になるとわかんないんだよなぁ。

自分が純粋なカスタマーでいる時の気持ちって、すごく大事だ。実際に体験した不快感を忘れないようにしようって、都度思う。ぷんぷんしてるのもつまらないけど、そのつまらなさが飯の種になる因果な身の上だ。

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