蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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「白の遊戯」でのパフォーマンス体験

2013年11月下旬、「白の遊戯 White play-《白》への憧憬と虚無の感覚- Yearning to "white", and feeling of nothingness」のボランティアパフォーマーとして、演技に参加してきた。

白の遊戯フライヤー

作者はサウンドスケープの研究をされている岩塚一恵さん。参加の動機は、作者である岩塚さんの問いの立て方が、昨今考えていることとシンクロしていたからだった。

私たちは、言語による多くの媒体を通して、何かを伝え、何かを感じています。 でも、本当に自身が考えている意図を相手に伝え、相手の意図を汲み取る事ができているのでしょうか。

ラングとパロール。私の中のエクリチュール。ならばそういったパフォーマンスの場に身を置き場の一部となることで、得られるものがあるのではないかと考え、飛び込んでみた。

パフォーマンス中は、とても静かで濃密な時間が流れた。最初は居心地が悪い感じがし、すこし経つといつまででもそこに居られるような時間に変わる。呼吸の仕方がわかる。

他人の言葉を切り刻む感覚。自分の言葉が切り刻まれる感覚。自分の意思とは関係なく吹き飛ばされていく言葉や想いの数々。それらは誰かの言葉と混じりあって意味を成さなくなったり、もしかしたらとてつもなく新しい意味を持ったのかもしれなかったり。

パフォーマンスを終えて、「いかた(そこに居る感じってことだと思う)がすごく自然ですね」と言っていただいたのが印象的で、そんなふうに見えているんだなぁと不思議な気持ちだった。具体的に言葉にできるものはまだない。感じたり生まれたものを反芻して熟成した時に、見えてくるものがあるんだろうな。

遅効性の栄養剤。そんな感じ。貴重な経験をありがとうございました。


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