蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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バブルバスの手すり

公衆浴場のバブルバスの湯船で、手すりの形にちょっと感心したことがある。

バブルバスの浴槽というのは、ひとり1スペース的な感じで、湯船の中が手すりで区切られているタイプのものが多い。あの隣り合ってるスペースの間にある手すりが二股というか、ダブルになっているものを見つけた。

全然うまく表しきれなかったけど、描いてみた。念のため付け加えておくと、バブルバスの浴槽を真上から見た図。ちゃんとそう見えてくるから、心の目でよく見てほしい。

手すりイメージ

これってわりとメジャーなのだろうか? 近所の他の浴場の手すりはダブルじゃなくてシングルだった。

ダブルだと何が嬉しいかと言うと、ちょっと手をかけても隣の人と手が触れあうことがないってことだ。ほんのちょっとでいいから手をかけておきたい時に、シングルだとお隣の人の間合いとか手の置き場を意識して遠慮してしまう。このちょっとの隙間と安心感がありがたい時があるのだ。

共同浴場内でなんでもかんでもパーソナルスペースパーソナルスペースって言うのも野暮な感じがあるが、大きくてシンプルな大浴場タイプのスペースとは違って、バブルバス内のスペースというのは状況がちょっと込み入っている。そもそもこんなふうに浴槽内が区切られてなかったら、手すりに依存するパーソナルスペースとかそれに付随する意識なんて生まれないわけで。

これは共同浴場の性格とパーソナルな文脈をちょうどいい具合に加減した、ちょうどいい手すりなんだなと思った。場と個人をいい具合に溶け込ませたり切り離したりする装置とも呼べるのではなかろうか。

こういうちょっとしたちょうどよさをいろんな分野で上手く取り入れていくと、個に依存した文化と一種の公共性との間がじんわり融和していくのではないかしら。ワールドワイドウェッブの世界も、きっとそういうちょうどよさが求められている。そんな感じが、ある。

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