私は書物が好きだ。書物の佇まいとか手触りとか、そういうものが好きだ。なんていうか、情報が詰め込まれている何かが好きなのだ。だから博識な人も好きだ。本棚も好きだ。書店も好きだ。図書館も好きだ。子供の頃、図書館に通うのが、何より楽しみだった。
本は燃えるとなくなる。つらい。アレキサンドリア図書館みたいに焼けてなくなれば、それで終わりだ。もったいない。考えただけでつらくなる。
だけど、デジタルデータはもっと簡単になくなりそう。理論上ではデータ自体は永遠と聞くけど(要出典)、記録している媒体がいとも簡単に劣化するのだものな。しかも、失われていることに気付かないケースさえある。
いわゆるワールドワイドウエッブなところにしかない感じのデータとか、あらゆるPC内のデータが全部飛んだら、今の文明が未来に残せるものってどんな感じになるのかなぁ。いろんなものが断絶して、それこそワケのわからないオーパーツ的な存在がたくさん生まれそう。
それはそれでおもしろい気もする。そうなった時はそうなった時で、そんな時代を生きるしかないし。きれいなコードが書けてもごはんが食べられないし、エディタ論争なんかともおさらばだ。
しかし世の中のデジタルデータが吹っ飛んだとしても、紙とか石とか地面とか、そういうのは残る。鉛筆とか。桜の木とか。公園のすべり台とか。あとヌーボードもたぶん残る。だからそういうものの上に、何かまた残したり残さなかったり、するのだろう。
その時、私たちは何をするのかなぁ。考えておくのもいいのかもね。