コミュニティとして「同じことを言っていて」「同じところを目指している」ように見えるのに、「においが全然違う」みたいなことがよくある。それはコミュニティや個人の特性に由来しており、その違い自体は健全だと思う。
においに関しては「いいか悪いか」では語ることができない。強いて言うなら「合うか合わないか」だ。悲しいかな、それが「好きか嫌いか」に置き換わることは容易に起こる。それはどんなに取り繕っても、本当にそうなんだと思う。
好き嫌いの軸になってしまった時、「嫌うこと/嫌われること」に対して、過剰な反応を示す人が時々いる。しかし、嫌だとか嫌いだというネガティブな感情をなかったことにするのもなんだか不健全だ。嫌いなものはあるし、嫌われることもある。ただそれだけ。
私が「なんか嫌だな合わないな」と思うのと同じように、「お前のにおいは嫌いだ不愉快だ」と思われていることが普通にあるはず。でもにおいとしてちゃんとわかるなら、伝わるなら、そのにおいによって正しく嫌われる方がいい。嫌われること自体は気にしなければ済むけれど、嫌われ方をこじらせるのが何よりも面倒だから。
ネガティブな感情をなかったことにするのではなく、あるがままに受け止めてどう処理するか。嫌いなにおいとどう付き合うか。少なくとも同じ世界に生きている以上は、何らかの形で共存するしかないし、攻撃しあうのはナンセンスだ。ナンセンスじゃないというより、メイクセンスじゃない、という感覚だろうか。
慣れる? 距離を置く? 分かり合うため長い時間をかける? 答えの形に似た選択肢はいくつもあって、たぶん、どれも間違っていない。そして、そういった課題に直面するその時が来るまでは、どれを選ぶ心の準備もすることができない。
だから、なんらかの形でシミュレーションできたらいいのだと思う。そういう課題に直面することがあるよ、という、なんとなくの認識を持って。そういった認識は、ないよりはあったほうがいい、やっぱり。