先日、何かを主体的に楽しんでいる時、その対象については俯瞰できない瞬間がやっぱりあるんだなぁと実感する機会があった。どちらかというと俯瞰的な見方が苦手な方ではないと思うのだが、状況によってはどうしてもそれに徹しきれない瞬間がある。
- イベント中に「A」「B」「C」というセッションがあった
- どれも全部見たが、参加者の印象に残っていて面白かったのは「B」のみ
- 関係者:「来てくれたんだね、(イベントは)面白かった?」
- 参加者:「うん!(Bの内容が)全部最高に面白かったよ」(この時A、Cの内容は頭にない)
というやり取りがあったら、質問した側はイベント全体が面白かったのかと思いがちだ。しかし自分の「全部最高に面白かった」の「全部」に含まれているのは「B」の内容だけであり、「自分が全部と言いたい部分という意味での全部」でしかないのだ。
決してそのやり取りが悪いとは言わないし思わない。だけど、そうしたすれ違いが起こるのを防げない以上、他人の言う「全部」というスコープは信用できないなと思う。
感想のやり取りではそれでいいとして、アンケートの設問を設計する時には文脈が抜け落ちていないかよく考えるべきだ。質問することで「何を知りたいのか」「なぜそれを知るとよいのか」「知ったことは何に活かされるのか」を適切なスコープで落とし込んだものがよいアンケート、ということになるのだろうか。
自分がどんな時に俯瞰できなくなるかを経験できたのは、よかったなぁ。そもそも、俯瞰できていないと気付けたこと自体にも意味がある。
何の因果か、最近仕事でもそれ以外のプロジェクトでもアンケートについて考える機会が立て続けにやってきている。今まではインタビューやヒアリングの機会の方が多かったので、インタビューとアンケートの違いについて、頭ではなく体感として理解できる部分が増えてきた気がしている。
とはいえ、まだまだわからないことばかり。定性とか定量とか2軸に割りきって考えてしまうのも、なんとなくちょっと違う気がしている。アンケートについて、もう少し知見を深めてみたい。