蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

おしゃれな空間、場所の可能性

だいぶ前のこと。行きつけのコーヒー屋さんが混んでいたので、おとなしく順番待ちをしていた。その時に、前のお客さんが話していた内容が興味深かった。

「こんなに狭くてもおしゃれな空間が作れるのね」
「うちの(注:文脈から察すると、故郷の田舎という意味らしい)あたりでもできるかしら」
「でもこのおしゃれな黒板、ばあちゃんには読めないわ。MとかLとかじゃダメよ、小さいやつ、大きいやつ、って書かないと」
「みんな腰が曲がってるから、黒板は下に置かないとダメね」
「そうね、うふふふ」
「カウンターの位置が高いから、縁側くらいにしないと受け取れないわね」
「あはは、どうしたっておしゃれにならないわね」

ふむ、そんなことないんじゃないかな。というか、その会話のひとつひとつ、すごくいいし、好きだな、と思った。地域に必要なものと地域の魅力を両立させるためのヒントがたくさんたくさん隠れている気がして、すごくむずむずした。

そんなことを忘れていた頃、知人のフィードから「火じろでぬくぬく♪昔ばなしとおさんぽの会」のことを知った。ブログからは素朴な古民家に集う人々が、ゆったりしつつもにぎやかな雰囲気で楽しんでいるように見える。あぁ、あの時のむずむずとこれはつながっているよなぁと思った。

「狭い空間でもおしゃれにできる」というのを「◯◯な空間でもおしゃれにできる」って置き換えてみると(オズボーンのチェックリスト的にとか言ったらそれっぽい感じになるかしら)、「ちゃぶ台のある空間でもおしゃれにできる」「古臭いと思っていた空間でもおしゃれにできる」「平凡な空間でもおしゃれにできる」「誰も来ないと決めつけられていた空間でもおしゃれにできる」などなど、いろんな言い換えができる。

ちゃぶ台を使ったおしゃれ空間だって全然成り立つ

廃病院をお化け屋敷にしてしまった富士急ハイランドだって同じことだと思う。何かに使っていた場所を全く違う何かのための価値に転換したあの感じ。

可能性ってどこにあるのかわからない、のではなく、誰が可能性を見出して表に引き出すのかだけ、ってことなのかもしれない。まさにリフレーミングだ。そう考えれば、世の中は可能性の宝庫だし、それをみんなで考えるのが楽しそうだよね。


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