「ケータイ向けTwitterサービス『モバツイッター』とアクセシビリティ」セミナー & だれもが使えるウェブコンクール中間発表に参加してきた。
モバツイッターの生みの親である藤川さん(えふしんさん)のセミナーも行われるということで、Ustreamもかなりの方が視聴していたようだ。
その時のツイート群はTogetterまとめ「モバツイッターとアクセシビリティ セミナー & だれもが使えるウェブコンクール中間発表」第一部から追うことができる。以下、メモなど。
「ケータイ向けTwitterサービス『モバツイッター』とアクセシビリティ」セミナー
なぜモバツイを作ったのか
- ツイッターはちょっとしたこころの機微を「つぶやき」として送信すると楽しいサービス
- 感情の変動は、明らかに歩いている時や外にいる時の方がたくさん起こる
- いつでも、どこからでも携帯電話で送れるようにしたら楽しいのではないか?
モバツイの特徴
- 利用者と一緒に作ってきて、利用者に支えられているサービス
- ツイッターの右サイドバーにオススメサービスとして紹介
- 日本のツイッターシーンを下支えしているサービス
- 多くの方に支持されて、素晴らしい賞を受賞。
- 海外「mashable.com」の「2009年OpenWebAwards」「Best Mobile Twitter app」部門で一位になった
クラウドコンピューティング実施例としてのモバツイ
- Amazon EC2 というクラウド環境
- 2010年2月段階で、50インスタンス以上利用
- 2009年6月までは自宅で運用
- 一人で運用できるのはクラウドだから
なぜアクセシビリティ対応か
- ツイッターは140文字というシンプルなコミュニケーション
- テキスト主体でお手軽な仕組み。セカンドライフ以上の広がりや楽しさ
- テキストだから、簡単にアクセスできるし人生も豊かになる
そもそもの環境要因
- ビジネスの論理では、ターゲットユーザを狭めてリソースを集中していくのはマーケティングの王道
- 結果的にアクセシビリティが進まない。これはある意味理解できる
- でもWebってもっと楽しいものだし、もっと便利なもの(維持費・人件費かからないし)
- この辺の発想ベースを実行委員である中野さん、森田さんにも影響を受けた
動機
- 一番の興味はWeb屋として当たり前のことをやってみたかった
- 機能追加は「やってみたかった」ベース
基本方針
- 前提は視覚障害者のデファクトである「らくらくホン」のテキスト読み上げ機能対応
- ハーモニーアイ協力による、ユーザテストでの結果を元に、健常者が視覚に依存している機能を改良する形で「シンプルモード」を設置
- 必要な機能を適すと読み上げでスムーズに見えるように
通常版とシンプルモードの比較
- 広告を削除
- タイムライン画面だけどフォームなどを後ろに設置
タイムラインのつぶやき改良
- 通常版:つぶやき表示の内容に応じて、さまざまなリンクが貼られている
- らくらくホン対応版:一気に読み上げを行い、スムーズに聞こえることを目的として、余計なリンクを削除
マークアップの改良部分
- WCAGのガイドラインには目を通した。もってる知識レベルでのアクセシビリティ対応はしているつもり
- 基本はらくらくホンの読み上げを聞きながら改良。一番、確実
- 携帯は制約が大きいので、マークアップよりナビゲーションに依存するところが大きい
作ってみて難しいと思ったこと
障害 ≠ ユーザータイプ
- 身体の障害はあくまで行動の制約であって、その人の性格や興味の性質を示すものではなく、行動特性を示すものではない
- 視覚障害者でもヘビーユーザは通常モードを使っている
配慮 ≠ 区別
- 急遽改良、らくらくホンでもフルモードと切り替えができるようにした
モバイルサイトのアクセシビリティ対応のススメ
らくらくホンの特徴
- 普通にインターネットに接続できる
- 音声読み上げ機能が標準搭載(PC環境よりも値段が安い)
- 常時電源オンで、持ち歩ける
- 圧倒的なシェア(視覚障害者の8割とも)
作り手側
- 生活シーンに密着した「機能」を提供できる
- PCサイトのように「機能」と「ブランディング」を両立させる必要はない
- 作るのが比較的簡単
問題点「Webサイトにアクセスする習慣のない人へ」
- それでもたくさんの環境を作っておくことは大事
- モバツイのような「コミュニケーション」を軸に楽しさを訴求していく
- ネットにつなげるサポーターは重要
- 社会のムーブメント重要、他人との関係性
使う側も作る側もちょっとしたチャレンジをしてみれば、「誰もが使えるウェブ」の実現に繋がるはず。
「だれもが使えるウェブコンクール」審査 中間報告
コンクールの応募サイト数は31サイトとのことだった。機械的にチェックするだけで見つかるようなことがチェックできていないサイトもあったとのことで、そういうこともあまり知られていないのかなぁと残念な気持ちになった。
ともあれ、最終発表が楽しみ。
トークセッション『視覚障害者のケータイ活用』
- 岩下 恭士 氏 (毎日新聞社 デジタルメディア局 ユニバーサロン編集長)
- 柴崎 裕也 氏 (NPO法人 View-NET神奈川 理事・ハーモニーアイ会員)
- 戸塚 辰永 氏 (社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 点字ジャーナル・デスク)
らくらくホンの使用例などが挙げられ、読み上げ機能などについて紹介された。視覚の不自由な方がどのように携帯デバイスを使用しているかを知ってほしいというお話があり、実際Twitterのタイムラインでは多くの方が「初めて知った」というツイートをしていた。
デバイスだけでなくコンテンツの話もあり、便利に使っていたサイトやサービスが閉鎖されてしまうと困るというお話も。また、飲食店のメニューを調べたりカラオケのリモコンとして使ったりしているそう。
全体を通しての感想
えふしんさんが出演ということで、今までアクセシビリティ関連の話題に関心が薄かった方々のUst視聴などが多かったのかもしれないと感じた。いつも同じカテゴリの同じ人達だけが集まっていても啓蒙の意味や効果は薄れてしまうと思うので、輪が広がってゆくのはとてもよいこと。
ガラケー頑張れ
デバイス的な制約がまだまだ多いことは、残念。視覚障害者が使う携帯はらくらくホン、みたいな選択肢の少なさは解消していけばいいなぁと。iPhoneも便利なのかもしれないけれど、日本の携帯電話いわゆるガラケーはもっと頑張ったらいいのではと思う。だって電話だし、電話ってインフラだし、地下鉄だって点字案内してる時代に、この選択肢の少なさは悲しい。
普通でよくない?
個人的に相変わらず感じる違和感は、「思いやり」とか「優しさ」とかいう言葉でアクセシビリティを語ること。アクセシビリティの確保って、思いやりがないとできないことなのかな?
そういう文脈にアクセシビリティという言葉を乗っけてしまうと、私達が目指そうとしている何かに対して、本質が見えにくくなるように思える。思いやりって言葉自体がフィルタになって、思考停止してしまう。そもそも、障害者向けとだけ考えることも思考停止の要因なんじゃないかと思っていて、「だれもが」の意味を完全に歪曲してしまうことにもなりかねない。
やっぱり優しさとか思いやりとか、そういうのってちょっと違うと思う。特別でなくて、普通であってほしい、そういうことって。ごく普通にアクセシブルなウェブとデバイスを実現できるようになればいいのにな。そのために、できることからちょっとでも実装していくしかない。ちょっとでも、自分のできることから、すこしずつ。
声は上げ続ける
Twitterをはじめ、声を上げたら届く場所がある。それってとても素晴らしいこと。だからたとえ一人にでも伝わるなら、伝えるべきことを発信したい。そう思ってブログも書いている次第。今の時代だからこそできることが、たくさんたくさんある。それって、とても幸せなことだと思う。
後日追記
du pope : NAKANO Hajime's Blogさんのエントリで紹介していただいたので、追記エントリを書きました。