蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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電子ファインダーと小さな絶望

ミラーレスカメラの電子ファインダーをしばらく使ってみて、小さな絶望を感じている。ファインダーに対しての絶望ではない。こんなはずじゃない感じの自分に対してである。

電子ファインダーを覗く時、まず、アナログカメラの時には感じなかった混乱がある。いっぱい数字が並んでいる。ちょっと動いたりズームしたりすると、数字のどれかが変化したりする。自分の手で数字を変えるような操作をしているわけだから、数字が変化するのは当たり前なんだけど、思いのほか数字の変化に気を取られる。

結果、狙った画角からちょっとずれてしまったり、平衡感覚が怪しくなったりしてしまうのだ。なので、自分の撮りたい絵が思うように撮れない。

電子ファインダーの一部

ファインダーではなく、ライブビューで見ると、そんな混乱は起きない。なぜかファインダーでそれが起きる。そのことが私の小さな絶望を呼ぶのだ。ウェアラブル・デバイスが当たり前の未来になった時、私はそれらに適応できないのではないか。端的に言うと、そういう不安。

たとえばドラゴンボールに出てくるようなスカウター。あれを自分が装着したとしたら、きっと変化する戦闘力数値に気を取られてしまうのだろう。視野に存在する数値以外のものが見えなくなる瞬間があるんじゃないかなぁと、具体的に想像できてしまったのだ。

そして、狼牙風風拳を食らって死ぬ。想像の中の私は、具体的に死んでいる。つらい。

若い世代の人は、新しいデバイスを当たり前に受け入れるのかもしれない。そして、使いこなせない私を馬鹿にするのかもしれない。これだから年寄りは、って言われてしまうのかもしれない。慣れの問題だよ、と言われるかもしれないけど、それは慣れの問題ではないかもしれない。

あー、近未来は怖いな。ニュータイプに置いていかれる未来。せめて狼牙風風拳ごときで死ぬのは避けたい。私だってすてきな近未来を生きたい。

ロートルでもよっこらよっこら頑張って生きていきたいから、ロートルが使うデバイスでもアクセスできるように、今まで以上にアクセシビリティを大事にしていこう。そうしよう。

願わくば、絶望しなくて済む近未来へ。Here we go.

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