ヨーロッパのある都市に行った時、印象的だった光景。街角にオルガンが置いてあって、学生なのかアーティストなのか、ある男性が夕暮れの時間帯にそれを弾いていた。街の景色にもよく馴染んで、人々もそれが当たり前であるかのように振舞っている。
ヨーロッパの街角や広場は、そんなふうに人が自然に集うように作られていて、それが文化として根付いているんだなぁと実感する光景だった。歴史的に見て、広場ってつまりは人が集うためのものだものね。
坂倉杏介さんなどが運営する芝の家などは、今の日本が失ってきた「集い方」を再考しつつ、地域力を再発見する事業なのだと思う。シェアハウスだって、そういう役目を担わされている部分があるだろう。
そんなふうに見直されてきている「街の使い方」にもっと触れてみたいなと思えば思うほど、昼間ずっと職場にいる勤務形態や長い時間をかけて通う通勤形態への疑問もあったりして、物事は単純じゃないなと感じる。
そしてある時から、街をどう使うかってことは、その街にいる自分の時間をどう使うかってことなのかもしれないと思うようになった。きっとそうなんだよ、たぶん。
物事が単純じゃないなら、いっそ思い切ってなんでも単純にしてしまえ! という発想もある。そんなふうに舵を切りはじめた人は増えているのだろう。そういう意味では、私も人から見れば、そんな中のひとりに見えることがあるのだろう、きっと。実際「そんな単純じゃない」と言いたいけれど。
みんなもっと自分自身の舵を切っていけばいいのかもね。ちょっとずつね。