昨年は自分の仕事を人に説明しなくてはならない機会がたくさんあった。その中で「いつまでも若手感が拭えない、そのわりにすでにほんのりと老害感がある」ということを言った記憶がある。
自分で言ったものの、老害感ってそもそもなんなんだろう? って考えた時に、ちょっと前に自分でつぶやいたことを思い出した。文脈的には、若い人が持つ疑問に対してその道のベテランが「そんな常識、知らない方がおかしい」って趣旨のことを言っていた時に思ったこと。
なんでいつの時代も同じ議論を繰り返すのか、って、今までの人間が老いて新しい世代が育ってくるんだから、あって当然だろうなって思う。むしろそうした議論が全くない時代ってどういうものを想定してるんだろうか?
— Hitoyam (@hitoyam) 2013, 6月 12
それを嘆いているだけでは世代間断絶を生むだけだからなんらかの交流をする必要があるし、一方通行で頭ごなしに自分世代の理屈を投げつけた時が老害になる瞬間なのかなと思っている。
— Hitoyam (@hitoyam) 2013, 6月 12
「一方通行で頭ごなしに自分世代の理屈を投げつけた時が老害になる瞬間なのかなと思っている」というのは、今もそうだなと思っている。もちろん、積み上げの歴史と価値は理解した上で、だが。
自分の経験を若い世代と共有して化学反応を起こしながら、現在に最適化していく作業ができる人こそ、優れた先達なのだろうな。
月並みだけれども、だからやはり対話が必要なんだろうと思う。自分の経験を他人とうまくつないで並列化できる能力=対話力(という言い切りはちょっと乱暴だけど)を育てることが、私達世代が本物のベテラン世代になる前に育てておくべき個人のスキルセット&マインドセットなのかもしれない。それを効率的に行う仕組みは組織やチームが備えるべきなのかもしれないが、まずは個人のマインドがなければ難しい。
一方、新しい技術や働き方に対する飽くなき若手感は捨てなくてもいいのかなと思う。自分の中の若手感と老害感を意識してコントロールすることで、自分の立ち位置なりのアクションが起こしやすいバランスを作れるのかなと思う。