蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

選択し続けること

仕事をしていて感じることは、規模や粒度や働き方や仕事そのものが多様化しているなぁということ。当たり前のことなのだが、素朴にそう感じている。

何を見つめてどうやって進んでいったらいいか悩むシーンは多く、生き方そのものという大きなところから、目の前の案件に適用する技術選定といった小さなところまで、日々何かを選んでいかなくてはならない。

どんなレイヤーにも絶対はない

多様化とも混沌ともいえる世界で「これが絶対」という解はないと思う。個人的な感覚では、それ自体がナンセンスだとさえ感じている。もちろん仕事上の話なら、生産性や利益率を考えて選ぶ戦略が偏るということはある。それは強みとか独自性という意味では正しいことだ(それでも絶対という言葉は使いたくないけれど)。

ただ、生き方や働き方レベルの話になった時に、それは通用しづらい。絶対という言葉で思考停止して、何も選べなくなる。そうならないために、自分たちのための新しい環境や組織を作ろうとしているのかもしれない。

さらに厄介なのは、仕事の内容と自分の働き方がイコールで括れないという点だ。上手に技術選定できたからといって、明日の自分の働き方が保証されるかといえば、そうでもない。選ぶべきものの組み合わせは無限で、自由に選んでいい代わりに、とても果てしない。

選択することで存在する

それでも、同じように模索しようとしている人が、周りにたくさんいる。自分が選んだ道を見据えて進もうとしている人達が、してきた人達が、たくさんいる。

そういう人達と話をするのが、とても楽しい。特に自分より若い人達と思いを共有したり議論したりするのは、本当に励みになる。

手探り手探りで生きているちっぽけな自分が、誰かの目標や救いになろうなんて大それた話は、難しすぎる。きっと一生そんな結果は出せない。けれど、過去の自分の選択の断片が、巡り巡って、誰かにとってのきっかけにはなるかもしれない。ほんの少しの気休めにはなるかもしれない。

そしてそれは、選択し続けることによってしか成せない。

若い人といろいろ話した中で、どうせ仕事をして生きていかないといけないのなら、選択し続けることをレゾンデートルと捉えていければ救いはあるのかな、などと思ったりした。

価値の大小はともかく、そこに存在する理由はある。そう信じて。

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