先日、人と「忙しいってなんだろうね」という話をしたので、まとまらない予感を感じつつ、つらつらと書き残しておこうと思う。
「忙しさ」にもいろんな視点がある
「忙しい」とか「忙しさ」について書いているブログを探したら、『忙しい人』と『仕事ができる人』の20の違い - モチベーションは楽しさ創造からを見つけた。「忙しい人」と「仕事ができる人」の比較という視点で書かれている記事だった。
先日私達の話題にのぼった「忙しさ」というのは人やキャラクタ依存の話ではなくて、同じ工数・作業量でも忙しく感じさせられる仕事とそうでない仕事とある、それはとてm不思議だ、という文脈だった。同じ「忙しさ」を語るにも、軸足がいろいろあるものだとおもしろく思った。
忙しく感じさせられる仕事
改めて同記事で挙げられている「忙しい人」の特徴と照らしてみて、「忙しく感じさせられる仕事」にも挙げられそうな共通点をピックアップしてみた。
- 終了時間とスケジュール意識が定められていない/薄い
- 納期寸前に新しい指示が来る
- 緊急事態・トラブルが頻発する
- 仕事の目的と最終完成物が最初に提示されない
- 電話がかかってくる本数が多い
- 完成物の手直しが何度も発生する
- 徹夜を強いられる
なんだか、当たり前といえば当たり前みたいなリストになってしまった。
あくまで先の記事の「忙しい人」との対照なので、私自身が考えるものとはまた少し違うのだが、こちらの都合や事情以外の要因のために、なぜか「忙しい状態」の受け入れを強要されるというのがポイントだろうか。
「忙しい」と「時間がない」はちょっと別のことらしい
逆に言うと、先の特徴に当てはまらない場合には、やはり「忙しい」という気持ちにあまりならない気がする。極端な話、作業量が「忙しく感じさせられる仕事」の3倍であったとしても。
主体的に能動的に動いている時には、「忙しい」というより「時間がない」という言葉を使っている気がする。現実問題、時間は足りなくなる。しかし「忙しい」とは明らかに違った感じ方をしている。
「おもしろさ」という要因
率直に言うと、私は「忙しい」のが嫌いだ。正確に言うと、「忙しい気分になる」のが嫌い。
なんでなのかと考えてみたら、忙しいと感じている時はなんとなくすべてがおもしろく感じられないからなのかも、と気付く。だから、作業量が多くてもタスクが山積みでも、「おもしろい」と感じている時はあんまり忙しいとも感じていない。
「おもしろい」と感じている時は心を亡くしていないということなのかもしれない、おそらく。
とはいえ、実際は「忙しく感じさせられる仕事」の特徴をバッチリ備えているにも関わらず「おもしろい」を保った仕事もあるので、「忙しさ」を感じる人の心の受容体って複雑だなぁ。
亡くすが先か、それとも後か
おもしろいと感じているから心を亡くさないのか、心を亡くしていないからおもしろいと感じるのか。どっちなのだろうか。それには答えが出ない。どちらもありそう。
少なくとも、心を亡くさないよう意識高く努力しないといけない仕事より、自然とおもしろさを感じられる仕事に取り組めるのが理想。意識高い高い運動を絶え間なく続けていたら、それこそ疲れ果てて消耗してしまう。
たとえどちらが先でも後でも、うまく楽しんでいけるようなしくみが作れたらいいなぁ。それがまさにこれからやるべき仕事なんだろうなぁ。
予感どおりまとまらず
そんなこんなで、イマイチしまらない感じだが、このぐらいにしておく。
ちなみに、挨拶的に「忙しくさせてもらってますよー」などと言う時の「忙しい」はここで言う「忙しい」とは違う意味合いのものである。もうかりまっかーぼちぼちでんなー的な挨拶に近しい常套句である。