デザインフォーラムTDC DAY 2010に行ってきた。7時間ぶっ通しのイベントだったので、メモもとても長いものになってしまった。思ったことなどをさらっとだけ書き残す。
セッション1) 和文 タイプデザイン
藤田重信さん(フォントワークス)と祖父江慎さんの出演で、漢字の品位と質感に最大限こだわった「筑紫オールド明朝」と、予想を超えたニーズの広がりを見せた「筑紫丸ゴシック」のお話。
筑紫オールド明朝がひらがなやカタカナにに合わせて漢字がデザインされたフォントであるという話に、なるほどと思った。払いやウロコに対するこだわりにはいちいち感心させられる。
書体を作る時に下書きをしないというのにも驚いた。だから制作が他所より速いかも、とのこと。
写植での潰れ防止のために交差部分をえぐるけど、デジタルではむしろ潰れたぐらいの方が自然に見えるという話も興味深かった。
私は写植時代の古本を眺めるのが好き。紙の品質のせいなのかどうか分からないけど、にじみとか潰れって本の個体によって全然違う感じがある。コピー機で大きく引き伸ばすと、確かにジギジギになるのだが。
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セッション2) On RGB
川村真司さん、エキソニモ、中村至男さん、松本弦人さんによるトークセッションでは、何より、「日々の音色」の予算が限りなくゼロに近い状態だったという事実に驚く。
元々その音楽のファンの人たちに協力してもらい、一度自分たちで演じた振付ガイド用のデモバージョンを見て覚えてもらったんだそう。コンテも60コンテ描いているとか。すごい。
RGB賞の選考段階でタイポグラフィかどうかという賛否があったようだし、トーク中に何度も「アウェイ」という言葉が出てきたが、形としてのタイポグラフィにこだわらず見ていた人も多かったようだ。もう実は新しくなくなっているのかもしれない「新しいメディア」がデザインフィールドに追い付いてきたのでは、という話が印象的だった。
個人的にエキソニモさんは受賞作品より、ボット向けアンケート QUESTIONNAIRE and ANSWERSの方にウケてしまった。注意書きを無視して先へ進むと大変なことになるのでお気を付けあれ。
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- 2009年 文化庁メディア芸術祭 エンターテインメント部門 大賞 日々の音色
- MASASHIKAWAMURA
- MASA & HAL
- Who-Fu on Vimeo
- Home
- exonemo
- EXONEMO ANTIBOT T-SHIRTS
- ボット向けアンケート QUESTIONNAIRE and ANSWERS
- nakamuranorio.com
セッション3) ポスター
ニコラス・トロクスラーさんとラルフ・シュライフォーゲルさんのプレゼンのあと、服部一成さんとのトーク。ニコラスさんのポスター作品をたくさん見たが、どれもジャクソン・ポロックに通じるような躍動感がある。アクションペインティングのように表現したいというような発言もあったので、納得。
「考えすぎてしまうと自分の思考がブロックされてしまう」、「ストレスがあるといい作品は生まれないので自分が自由であることが重要」という発言には非常に重みがある。制作時間が短いかつ機嫌のよい時に作ったものの方がよいものができるそうだ。
ラルフさんの話で面白かったのは、手仕事とコンピュータ仕事について。コンピュータのように均一な手仕事をしようとしてしまいがちだけれど、今は逆に小さな失敗やムラのような部分にこそ魅力があると感じられる。
よくよく考えたらわざわざグラフィックでグランジ素材とか作っちゃう時代なのだ。コンピュータ臭さを消すことの方が、動きとしては断然強いのかもしれない。
シルクスクリーンの作品がたくさん出てきたので、またシルクスクリーンやりたくなった。自宅のクロゼットに眠っている印刷機、引っ張り出そうかな。
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セッション4) ブックデザイン
リエン・チエさんのプレゼンを祖父江慎さんが通訳してくださった。私自身、学生時代はブックデザインを専攻していたので、気になるセッションだった。
リエンさんの作品はロモカメラで毎日撮った写真と24種類の暗号を用いた袋とじの本という、不思議すぎる本。写真はガールフレンドに撮ってもらったらしい。
大学院の卒業制作ということだが、あんな大変な本を5冊も作ったのかと思うとそれだけで頭が下がる。考えただけで大変。私なんか1冊作るだけでもぐったりだった。
しかもミシン目は開けないと見られないから、展示している段階でピリピリ破かれる⇒完成品残らない、という事実。ああ、なんか考えるだけで切ないが、それがまたいい。
トイカメラを使っているということで、またまた手持ちのトイカメラで遊んでみたくなった。あれもこれもやりたくなってしまって困る。
セッション5) 欧文 タイプデザイン
ホルガー・ケーニヒスドルファーさんのプレゼンにマシュー・カーターさんが特別参加という形で。
マシューさんといえば、VerdanaとかGeorgiaとかメイリオの作者で有名。実際、彼がいらっしゃるということで参加を決めた人もたくさんいたようだ。
イタリック体はローマン体との違いがきちんとないといけないという話があって、当たり前のようだが納得。和文でイタリックというと汚く潰れてしまうイメージがあるが、欧文では重要な要素だし。
マシューさんは学術プロジェクトとして成熟度の高いフォントが作られていることに驚いていたようだ。スモールキャップの「S」と小文字の「S」の大きさについて質問をされていたが、ドイツ語ではそれで問題ないとのこと。言語による違いも大きそうだ。
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セッション6) タイポグラフィ+楽譜+ブック
浅葉克己さん、ジョン・ワーウィッカーさん、マシュー・カーターさんによるセッションは、図形楽譜についてのお話。ジョンさんの幼少期のお話がとても叙情的で素敵だった。
「ひとつのものがもうひとつのものに変形していく過程に感銘を受ける」という話が印象に残っている。アートやデザインに限らず、抽象化するスキルが必要になるシーンは少なくない。その中でどれだけイマジネーションを働かせることができるか、普段からもっと意識してみようかな。
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セッション7) CF+タイポグラフィ+グラフィック
最後を飾るのは、アンドリュー・アルトマンさん、ジョン・ワーウィッカーさん、中島英樹さんのセッショだった。
4日間で仕上げる必要があったというガザ地区についてのトレーラー。検閲の問題をいかにシンプルにグラフィックで再現できるかを考え、表示される文字を追いかけるように伏せていくアニメーションを思い付いたそうだ。可読性を保ったギリギリのバランスにとても緊張感があった。
ガザ地区の深刻な状況を伝えるためにグラフィックが果たすことができる役割は、決して小さくないのだなと実感した。少なくとも、デザインすることで、ジャーナリズムに寄り添うことはできるんだと思う。
しかし、社会問題を可視化することに対するアートとデザインの違いってどこにあるんだろう。
いろいろ考えながら聞いていたが、トークの中で「アートだとかグラフィックデザインといった名称は便宜上のもので、実質は変わらないものになってくる」という発言があった。特にパブリックアートの例などは分かりやすくて、とても納得。
社会や都市に関わっていけばいくほど、その傾向は強くなる気がする。「グラフィックデザイナーは自分以外の他人と常にチャンネルを合わせ、その中でできる最良のことを探している」という話もあったが、パブリックアートだって同じことなのでははいか。
振り返れば、このセッションが一番エキサイティングだった。グラフィックの世界だけに関わらない話だったからだと思う。もっとお話を聞きたかったぐらい。「自分の魂と対峙することは100年かかっても素晴らしいこと」というジョンの言葉がよかった。
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7時間のトークラン終了
長かった。12時からはじまって19時まで、途中何度か10分休憩が入ったが、とにかく長かった。興味深い話ばかりであっという間だったのだが、フィジカル的にはかなり疲れた。
寝てしまっている若者がたくさんいたけど、もったいない。こんな話に触れられる機会、とても貴重なのにな。
作品に触れるというよりは、作る人たちの思想に触れた1日だったと思う。後々いろいろ思い出したり思い付いたりして、時が過ぎた後でも考えることが生まれそうな気がする。