蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

集合写真の強要

集合写真に入ることを強要されるシーンについて考えている。

全員集合

仮に集合写真が大嫌いなX子さんがいるとしよう。X子さんは、そういう機会にはたいがいするっと逃げるのだが、時折そうはいかない場面がやってくる。

人はそれをわがままと呼び、考慮される余地のない事案として聞く耳持たないことの方が多い。X子さんもそれはわがままなのかもしれないと思ってはいるが、でも、当たり前の感じで言われるのは、どうにもいやなんだよねと思っている。

だいたい合意以前に納得のひとつもしてないのに、入るのが当たり前だとかみんなの気持ちだとか、強烈なピアプレッシャーが集合写真の人数分で押し寄せてくるって、けっこうな暴力だ。ごねて空気悪くするのも面倒だし、早く済ませて帰りたいし、気持ちが絡まり合って複雑化する。判断を放棄したくなる。そんなこんなで、X子さんは仕方なく、しぶしぶフレームに入る結果になる。

もちろんしぶしぶなので、100%強制されてる感満載で、それまでどんなに楽しい時間を過ごしたとしても、帰り道は大変に気分が悪い。X子さんはひたすら嫌な気分を忘れることだけに努め、膨大な精神的労力を割く。

こういうバッドなエクスペリエンスをどうにかしたらいいのだと思う、21世紀なのだから。

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