深夜の都内を、タクシーで流すのが好きだ。それは単なる移動手段ではなく、遊離するシネフィルの視点だ。
目の前を過ぎる車窓の景色は、すべて他人ごと。私自身も彼らにとっての他人ごと。なんでもかんでも自分ごととして向き合っていくべき仕事と状況が常態化する中で、傍観者の視点に身を置けるのはひどく心地がよい。
私は流れる景色を留めることができない。私はこの結末に責任を取らなくてよい。私はこの景色に何もコミットしない。
たとえエンドロールを知っているドライブでも、つかのま身をゆだねる時間を愛してやまない。