蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

20170509013806

無意識に認知あるいは無視しているものを把握する

スケッチのようなことをする機会がたまにある。ワークショップの時やなんかで写真を使えない時に、手元でさっと絵にしたりするからだ。デフォルメして表現してしまうので写実的なスケッチではないものの、写真の代わりに状況がわかるように描かなくてはならない。

何度かスケッチを描くうちに思ったりしたことを、つらつらと書きつけておきたい。

前提として、写真はたとえ目の前のものに向き合わなくても、フレームを切り取るだけで撮れてしまうものである。極端な話、目をつぶっていてもシャッターを押せば目の前に存在するものが撮れる。また、どうしてもフレーミングを考えてしまうし、全体の構図の中で対象がどう見えるかを意識して絵を作る。

しかし、スケッチは少なくとも対象と向き合って観察しないと、線のひとつも描けない。上手い下手の問題ではなく、自分が何を見て何を読み取ったかが如実に線として現れる。あったはずなのに描けないこともあれば、目に見えなかったものを描いてしまうこともできる。何を見ていて何を見ていないか、何を描きたくて描いたのかがくっきりするのだ。

だから、自分の写真と自分のスケッチを見比べていると、自分が無意識のうちに認知しているものや無視しているものを拾うことができる。自分というフィルターが存在することを嫌でも突き付けられると、意外な気付きや面白みがあったりして、とてもいい。ほんの少しでも自覚的でありたい時には、手っ取り早い。

なんだかうまくまとめられていないけれど、そういう感じ、きっと他の人にもあると思う。自分が何を見ているのか説明できる人間なんて、もしかしてどこにもいないんじゃないの。

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