UX Tokyo Advent Calendar 2014、15日目のエントリとして。
普段、自分の活動や仕事にUXという冠を掲げることを好まない。だが、ワークショップのデザイン(WSD)をする時は例外だ。純粋に何かを「体験」してもらうための時間をデザインするのがワークショップデザイン。純度の高いUXデザイン(UXD)と言えないこともないんじゃないか、と思っている。
しかし、果たして本当にそうなのかな? いやいや、そうだろどう考えても。なんて、ただ思っているだけでは気持ちが悪いので、この機会にちゃんと考えておくために、hcdvalue が公開しているUX白書(日本語訳版).pdfを参照しつつ、WSDとUXDの関係を改めて捉え直してみたい。
ちなみにワークショップという言葉に対する印象や定義は、おそらく人によって違うだろうが、ここでは私がワークショップデザイナーとして普段デザイン・実施しているタイプのワークショップの内容を暗黙の規定として考え、特にそれについて背景説明のないまま話をはじめるので、ご容赦願いたい。
あと、急遽思い付きで書き始めたので、図とかもだいぶ雑。
定義として成り立つのか
ワークショップでは(乱暴に言えば)「体験」をデザインするわけだが、その範囲がUXの定義と合致するのか? という問題がずっとあった。
よく「体験というものをなんでもかんでもUXと呼ぶのはいかがなものか」という疑問や批判の声を聞く。ワークショップはどうなのか。バナナはおやつに入るべきだが、ワークショップはデザインされるべきUXの範疇として考えていいものなのだろうか。
白書の「現象としてのUX」セクションを見ると、
UXは「一般的な意味における経験」とは異なり、システムと出会うことに由来する経験を明確に示しています。
と述べられている。ワークショップは何かしらのワークと呼ばれるシステムが存在し、そこでの体験は「ある個人に固有のもの」であり、「過去の経験とそれに基づく期待に影響」されるものであるから、現象としてのUXに当てはまっている。
私の考えるワークショップは上記の定義に当てはまっているので、UXとしてデザインされる対象であると言えそうだ。もちろん、UX白書を認めないという人には意味を成さないだろうから、それはまた別のお話。
時間軸とライフサイクル
時間軸としての成り立ちはどうなのだろうか。UX白書中で使用されているあの有名な図をベースにさせてもらって、自分が普段設計しているワークショップの成り立ちを照らし合わせてみた。
参加前、参加中、参加後というのを自分流に書き換えてしまっているが、おおむねこんな感じ。ざざざっと書いたため、後で見たら直したくなるところも多々ありそう。そしたらその時にアップデートするとして、今はβ版くらいの気持ちで見ていただければ幸い。
予期的UXには告知から導入の一部までが含まれ、一時的UXには導入から協働・振り返り・日常生活の一部まで大胆に含まれる(含まれたくて)。エピソード的UXには振り返りから日常生活までが含まれ、累積的UXには日常生活やリピート参加の積み重ねなどがも含まれる(含まれたいの)。
当たり前に考えれば、「参加中」=「一時的UX」であるべきなのだろうが、私はあえてそれを壊して上記の図のような表現をしたいと思った。だから「こんな照らし方は間違っているぷんぷん!」と怒られたとしたら、それはそのとおりだと思う。また、すごく理想を言えば、日常生活のすべてを累積的UXとしてカウントできるところまで到達したいけれど、それは理想であって現実ではない。目指している、というだけで。
なぜそんなややこしいことを言うのかというと、ワークショップでのUXって、容易に入れ子になるからだ。全部とは言わないまでも。だってどう頑張ったってワーク中に「日常生活」のすべてを含むことはできないからね...(下の図だとだいぶ雑に入れ子にしちゃったけど)。むしろ、入れ子にできるように心がけて設計をする場合が多かったりするので、入れ子になっててほしいのだ。
プロダクトやサービスを利用してどう感じてもらいたいか、ではなく、いかに重層的に「体験」してもらうかということを考えたいWSDにおいては、常に時間軸を意識する。UXの文脈では時の経過を強調するために上記のような図が用いられたが、そもそもWSDでは時間軸が前提として存在するはず。
ワークショップは本当にデザインされているのか
これもまたセンシティブな問題である。しかもワークショップの定義の問題すらはらんでくるが、個人的には内在的なプロセスが考慮されていないワークショップが多いのではないか、と感じることがある。それただのハンズオンセミナーだよね... とか、材料与えて放置してるだけだよね... とか。ワークショップという冠が付いているけど、なんとなく実施されているだけ...のものたち。
ワークショップの効果について定量的に評価する手法は偉い人が研究している最中だけれど、デザインする立場として「デザインされているかどうか」を評価することはできる状態にあると思う。しかもそれはUXDと照らすことで見えてくるものが多かったりする。
上記で示した図たちだけでは「デザインされているかどうか」は測れないが、プロセスの設計があるかどうかを見て評価するだけでも、見え方はずいぶんと違ってくると思う。
UXDに内包されるものとしてWSDを捉える
私がワークショップをデザインする時は、常に内在的プロセスを意識しているし、効果が最大限になるよう工夫しているつもりである。上記で挙げた図は思いつきで書いた雑なスケッチだし、内容的にも議論の余地がたくさん残されているけれど、少なくとも参加者にどんなことをどんなふうに「体験」してもらうかについて真剣に向き合っているのは間違いない。
これらに真剣に向き合っている時、私はUXデザインをしているということになる。今後はもう少し、WSDがUXDに内包されるものという前提での視点で考えてみたい。考えてみれば、ワークショップほど人間中心なシステムもなかろうし、体験にフォーカスした時間もなかろう。
どちらかといえば、世にたくさんいるワークショップデザイナーの方々に対して、「UXDって考え方があってね...」って話をしたり、UXデザイナーに対して「WSDっていうのはね...」という話をするみたいなことが、意義あることなのではないかと思ったりもして。呼ばれればどこにでも行くので、呼んでください。
何より、このエントリを書くにあたって雑にまとめたことを、もうちょっと時間をかけて形にしてみたい。このエントリを一歩目として、「累積的」な歩みを。